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『チーム日産 ~モータースポーツにかける者たち』 第17回 KONDO RACING代表 近藤真彦

2014.01.31 Fri

日産モータースポーツを支える者たちに、あらたな光をあてるコラム。
新春第一弾となる今回は、芸能界で活躍しながら、
レーシングドライバーとして、自ら率いるチームの監督として、
日本におけるモータースポーツの普及に多大なる功績を
もたらした近藤監督の、熱い思いに迫ります。

「まだ3歳か、4歳の頃、もちろん記憶はないんだけど、
遊園地のゴーカートに乗っている写真があったり、
クルマの前でポーズとってる写真があったり、ミニカーを
集めていたり… やっぱり、好きだったんでしょうね、クルマ」
目の前の近藤監督が、澄んだ瞳で窓の外を見る。
窓の外は…… サーキット。
そう、インタビューが行われたのは、富士スピードウェイだった。

2014年1月11日、土曜日。真っ青な空の下行われたイベントは
『第1回SUPERマラソンGP with イイコトチャレンジ』。
近藤監督が、「イイコトをみんなで楽しく」を合言葉に続けている
『イイコトチャレンジ』のこの日の企画は、
富士スピードウェイをみんなでマラソンしよう!というもの。
自分の足で走る、5時間の耐久レース。
インタビューの直前も、近藤監督は自ら参加。
一周約4.5キロを20分ほどで走ってきたばかりだった。

「ボクがモータースポーツの魅力にはまったのも、ここなんですよ。
富士スピードウェイ。日産マーチのCMに出た縁で、広報の人と、
それから、星野一義さんと、誰もいないサーキットに来たんです。
それまで本物のレースって観たことがなかった。
バイクもクルマも好きだったけど… 星野さんが運転する
レース仕様のマーチの助手席に乗ったとき、
なんていうかな、世界観、変わりましたよ。
いや、ほんと、すごかった…」
笑顔になる。なんだろう、この人の笑顔には邪気や濁りがまるでない。
まわりの人を笑顔にいざなう純粋な陽の光。
そう、まるでこの日見えた富士山のように、安心感で気配を包む。

「星野さんの助手席で体験した、100Rは忘れられないね。あのカーブ。
クルマは真っ直ぐ走ってるのにさ、ぐーーーって路面が
せりあがってくるんだよ。なんだ、これは!って感じ。
それからしばらくして、星野さんのレースを観にいったんだけど、
レース前、星野さんがね、じゃあ今から稼いでくるから!ってスタートして
で… 勝っちゃって、賞金、1000万。
凄いなって思った。芸能界とは違う、なんていうか、
リアリティがあった。表彰台の星野さん、カッコよかった。
今度は、アマチュアでも参加できるレースがあるって教えてもらって、
参戦したんですよ。
N1、パルサー1600ccチューニングレース。
正直、スピード感覚、度胸、根性、若さ、ボクには全部そろっている
自信があった。勝てるんじゃないかってどこかで思っていた。
でもね… 惨敗! 全く通用しなかった。
度胸や若さでは太刀打ちできない。
なんなんだ、この世界って思った。ブレーキの踏み方、コースの取り方、
戦略やかけひき、頭を使う、メカを知る。大胆さと繊細さ。
初めてモータースポーツの奥深さを知ったんです」
モータースポーツに真摯に向き合う覚悟をした近藤監督。
惨敗したからこそ、あらためて、星野監督の凄さ、
とてつもないレベルを知ったという。
「だから… なんだか今までみたいに気軽に
話せなくなっちゃったんです」
そのはにかむ表情に、近藤監督のひたむきさや謙虚さが垣間見えた。
彼は星野監督と離れたわけではない。離れていることに気づいたからこそ、
より近づきたい、追いつきたいという思いが湧き上がってきたのだろう。
もしかしたら、相当な負けず嫌いなのかもしれない。
そこが彼のある意味での出発点になった。
きっと人知れず、努力に努力を重ね、自身の技術を高めていったんだろうと
思った。

「あるとき、NISMO初代社長だった難波靖治さんが、
ボクをル・マン24時間耐久レースに誘ってくれたんです。
一緒に応援に行こうって。
フランスの現地に行って… 参戦するみんなで写真を撮るんです。
車検場のジャコバン広場。
そのとき、誰かがワークスの青いジャンパーを貸してくれたんだよね。
一緒に写りなよって言ってくれて… うれしかった。
なんかすっごく誇らしかった。
それからね…1995年、NISMOから電話がかかってきたんですよ。
ル・マンに出ないかって。GT-Rに乗らないかって…。
23号車は、星野一義さん、鈴木利男さん、影山正彦さん。
ボクは、22号車。このときも、写真を撮ったんですよ、ジャコバン広場で。
もう誰かのジャンパーじゃなかった。胸に『KONDO』って名前が
ある。ああ、オレもやっとここまできたんだなあって、
ちょっとうるっときました」
その戦いは、壮絶なものだった。24時間中、16時間は雨という悪条件。
23号車はミッショントラブルでリタイア。でも22号車は10位前後で
なんとか踏ん張っていた。
スタートした48台のうち、完走したのはわずかに20台。
その20台に、近藤監督がいる初参加のGT-Rも入った。

「最終ドライバーが、ボクだったんですよ。いやもう嫌で嫌で。
っていうのは、24時間も走ったマシンはもうギリギリの状態。
いつ壊れてもおかしくない。
同じクルマの23号車がリタイアしてるでしょ。当然22号車も心配。
実際、調子がいいとはいえないわけですよ、エンジンの音とか聴いても…。
で、23号車の分も結果を残さなきゃっていう、とてつもないプレッシャーが
さらにかかって…。これはもうね、なんていうか、
そう、ロシアンルーレットみたいでしたよ、誰がやるかって…。
でも、なんとか、やりきりました。最後の一周はね…もうずっと
泣いてました。ボロボロ涙があふれてきて…。
あんな涙、流したことない… うれしいとか、やりきったとか、
そういうんじゃない。ただ、あふれてくるんです… 次から次へと…」

モータースポーツの魅力、と簡単に口にするけれど、
そこには、はかり知れないサンクチュアリ(聖域)があるのだと思った。
肉体と精神の限界を極めたものにしか見えない景色。
僕たちは、その残像を少しでも眺めるために、レース場に向かう。

「モータースポーツは、もっとエンターテインメントとして、
ショーとして、考え方を変えなくちゃ、いけない。見せ方や、
PRの方法、まだまだやれることはたくさんあると、思います」
『イイコトチャレンジ』に参加して、サーキットを自分の足で走った、
ある女性が言った。
「最後の直線を目の前にしたとき、うわ、遠いなあって、
途方にくれました。まだ、走るのって。でも、レーシングカーは、
それをわずか何秒かで駆け抜けるんですよね。自分が走った
このサーキットを疾走するクルマを、見てみたいと思いました」
近藤監督が考える、モータースポーツの普及のための成果が
見えた気がした。

近藤監督が長年にわたり、モータースポーツの最前線に
居続けられた理由(わけ)…。
少なくとも彼がこの世界に興味を持った理由は、華やかさ、
カッコよさではなかった。彼を突き動かしているもの…それは、
星野監督の運転するクルマの横で感じた「なんだ、この世界は!」
という驚き、畏敬、大いなる好奇心だった。
少年のような思いを持続するということ。その一点が、
彼の稀有な位置を可能にした。
そして、少年のような純粋な眼差しを守る、冷静でしなやかな大人の視線。
相反するような二つの瞳が、彼に誰も座ることのできない『椅子』を
用意した。

モータースポーツを観戦するのに、知識はそれほど必要じゃないよ。
好奇心、驚き、それだけで、きっと魅力を感じることができる、
そんなふうに言っているように感じた。

近藤監督は、会場に展示してあった日産車も丁寧に見て回った。
そして、彼は、さっと青い空を眺め、
「もう一周、走ってきます!」
と笑顔で言って、ランニングウエアに着替えた。
彼の背中に、柔らかな冬の陽射しが降り注いでいた。

文・写真 北阪昌人

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