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『チーム日産~モータースポーツにかける者たち』第18回 ~ モータースポーツカメラマン 小宮岩男 ~

2014.02.28 Fri

日産モータースポーツを支える者たちに、あらたな光をあてるコラム。
第18回は、30年に渡ってレースを撮り続けてきたカメラマン、
小宮岩男さんの、モータースポーツに賭けた情熱に迫ります。


「理想を言えば、たった一枚の写真なんだけど、それがそのレースを全て
物語っている、そんな一枚をね、常に撮りたいと思ってここまできました。
たとえば、ボクは星野一義さんが、大好きなんだけど、雨の中、それでも
アクセル全開で戦ってる星野さんの姿、水しぶきをあげてね、そりゃ凄い
迫力ですよ、それ一枚でね、ああ、あの戦いだったねってわかるんですよ。
そんな写真を撮れた時はね、うれしいもんですよ」

ずっと会いたかった、モータースポーツのカメラマン。
それはどんなに過酷な現場だろう。
炎天下、大雨、長時間、重い機材を持っての移動。
どのレースひとつとっても、楽ではなかったに違いない。
目の前に現れた小宮岩男は、想像と違った。
謙虚、感謝、あふれる優しさ。それは、なぜか今まで取材してきた
ドライバーの雰囲気に似ていた。
いい顔だった。柔和な笑顔。
そこには好きなものの傍にいた充実感が浮かんでいた。

「ウチは、家族がね、みんなクルマが好きだったんです。
兄がレースをしていたし、姉も自動車部だったり。兄にくっついて
実際自分で走ってみて、自分にドライバーの素質がないかなって思って、
でも、大好きなクルマの傍にいたくて、結果、カメラマンとして
クルマに寄り添えたのは、本当にラッキーだったと思います」

小宮の視線はあくまで低い。これまでの実績を思えば、
もう少し自慢気なところがあっても、誰も文句は言えないのに。

「10代のころ、まだ免許を取る前に、あるレースで、雨の中、
水しぶきをあげて走ってくるマシンを写真におさめてコンクールに
出したら、賞をもらったんです。
そこからかな、ああ、これでやっていこうかなって思ったのは」
そういえば、新聞広告賞を取った写真も、水しぶきをあげるマシンだった。

「昔から日産車が好きでね。今でも忘れられないのは、
10代の時、初めて行った富士スピードウェイ。お金がなかったので、
東京からヒッチハイクで行ったんです、友達と。
階段を抜け、サーキットの観客席に出たとき、体がふるえました。
そのスケール感、爆音、マシンが競り合う臨場感、ワクワクしました。
GT-R、文句なしにカッコよかった!レースが終わって帰るときには、
タクシーもスカイラインが来るまで待ちました(笑)」
その日産愛は、ドライバー含め、スタッフ全員に浸透していった。
今も、小宮の周りの人は、いかに彼がいい写真を撮れるかを
真っ先に考える。彼は紛れもなくチームの一員だった。

「ちょっとお恥ずかしい話なんですが、世界三大耐久レースのひとつ、
デイトナ24時間レース、1992年、日本初、日産R91CPが
優勝するんですけどボクはね、表彰式のパスを取り忘れていて、
表彰台での最高の瞬間を撮れない事態になったんです。
でも、その時、日産チームの人がね、ジャンパーを貸してくれて、
一緒にマシンを押しながら、表彰式に参加できたんです。
あの時、ああ、同じチームとして認めてくれているんだなって、
すっごくうれしかったのを覚えています。あ、でもね、
怒られたこともありましたよ、あるレースで日産チームが優勝して、
うれしくてうれしくて、ドライバーに、クルマの屋根の上、あがってよって
言っちゃったんです。結果、いい写真は撮れたんですけど、屋根がね、
ボコボコになっちゃって、メカニックの人に、怒られました」

そうか、と思い至る。
小宮は、一緒に戦っているんだ。ただ被写体としてのレースではない。
レースに一喜一憂し、ドライバーやチームに寄り添う。
「応援しているクルマが勝つと、モチベーションあがりますね!
反対に、勝ってほしいチームが勝てない時やクラッシュしてしまった時は、
本当に悔しい。だから、ピットストップを早く終えて、マシンがコースに
戻った時には、メカニックの人と同じように、ガッツポーズしてます!」

クルマに寄り添い、チームと一丸となって、シャッターを切る。
だからこそ、小宮の写真には優しさがある。物語が見える。
そんな小宮の写真に少しでも近づくにはどうしたらいいんだろう。
レースを観に来た人が、いい写真を撮るにはどうしたらいいんですか?
と訊いてみる。
「記憶に残る一枚、というのかな、その写真を見たとき、
ああ、あのサーキットに自分もいたんだとすぐに思い出せる写真を
撮ればいいんだと思います。
極端な話、マシンが小さくてもいい、観客席の狂喜乱舞している姿が
捉えられていれば、それでいいんじゃないかな。
今、カメラの性能がいいから、構図ですよね、全体を引いて見ると、
思い出に残る写真が撮れると思います」
それは、小宮の信条でもあるのだろう。
レースを象徴するたった一枚の写真を求め続ける。
それには、その日の陽の光、風、歓声、路面の照り返し、全体を見据える、
映画監督のような視線が必須なのだと思った。

モータースポーツのカメラマンになりたくて、足しげくサーキットに通い、
コツコツと積み上げてきた実績。気がつけば、30余年、業界の重鎮として
活躍してきた小宮。NISMOとの契約も10年を超える。
そんな彼は、この春、引退を決めた。
惜しまれる声が多数あっても、彼の意志は変わらない。
それは小宮らしい、プロとしてのけじめのつけかただった。
「ボク自身、引退を決めたのは、自分がイメージする写真を撮れなくなった
からです。まだまだ撮りたいし、まわりの人ももっとやれると思ってくれて
いるかもしれない。
でもね、重い機材を背負って、レースの間に何度移動できるか、
最高のポジションに自分を置けるか、それがね、歳をとると、
思うようにいかなくなるわけです。
だから、自分で決めたんです」
ああ、この人もまた、ストイックに自分を追い込み見つめる、
アスリートなんだと思った。

手を見せてもらった。
もちろん浅黒く陽に焼けて歴戦を物語ってはいるけれど、
優しい、思いのほか、女性的な手だった。
そして、それは、奇しくも今まで見せてもらったドライバーの手に
似ていた。

「ルマンとかデイトナとか、24時間レースはね、フツウでは撮れない景色の
中のマシンに出合えるんです。生まれたばかりの朝陽にカメラを向けて、
荘厳な逆光の中、こっちに向かってくるマシンはね、
そりゃ、神々しいっていうかね、しびれますよ」
最高の笑顔だった。
そこには、クルマ好きな少年の光と、たくさんのレースを経験してきた
壮年の影が同時に顕在していた。

※3月5日より、NISMO本社にて、小宮岩男写真展が開催されます。
ぜひ、モータースポーツの醍醐味を臨場感あふれる写真で体感ください。
詳細はこちらをご覧ください。

文・写真 北阪昌人

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