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『チーム日産~モータースポーツにかける者たち』第23回 ~モータースポーツ推進機構理事長 日置和夫~

2014.07.25 Fri

日産モータースポーツを支える者たちに、あらたな光をあてるコラム。
今回は、日産/NISMOでのキャリアを生かし、現在もメーカーの枠を超えて
モータースポーツの普及に東奔西走する、日置和夫氏。
日本におけるモータースポーツの現況のみならず、彼の素顔に迫ります。

「もっともっと、クルマを楽しんでほしい、遊んでほしいんですよね」
日置は、笑った。
正直、緊張していた。日置和夫は、
長年にわたって日本のモータースポーツ界を支え続けてきた功労者。
こちらの勉強不足を怒られたらどうしようか。ドキドキしていた。
でも、最初に、笑顔。それも、少年のような、純粋な微笑み。

最初にクルマに興味を持ったのは?と尋ねると、
「4歳か、5歳のときにね、もう自動車が好きだった。
家の白い壁にねえ、クルマの絵を描いて、よくばあさんに叱られたよ。
クルマはねえ、ワクワクしたねえ。
ガソリンの匂いをかぎながら、よく追いかけたもんです」
この人は、ほんとうに素敵に笑う。
「父親がね、技術者だったから、物心ついたときには、
メカが好きになってた。高校時代はバイクを壊しては組み立てたりしてね。
大学生になって免許がとれるようになったら、すぐにクルマに乗った。
飛行機も電車も、乗り物は全部好きだったけど、
自分で運転できるクルマっていうのに、のめり込んだ」

1969年、日産自動車に入社。
大先輩には、日本人として戦後初めて国際的なラリーイベントで優勝した、
NISMO初代社長、難波靖治氏がいた。
「難波さんの存在はやっぱり大きかったねえ。
自動車部の先達として、クルマを自分で操る楽しさを教えてくれた。
たとえば、ダート道、急な斜面やでこぼこした道を、乗りこなす喜び、
リフトのドキドキ感、クルマを走らせることの楽しさを
五感で体験させてもらった。
このときの、クルマで遊ぶワクワクが僕の原点ですよ」

日置は欧米での仕事を通し、
日本におけるモータースポーツの置かれている現実を痛感することになる。

「そもそも、欧米の人は運転がうまい。アルプスの山道を年老いた女性が、
マニュアルですいすい登っていくからね。
どんな世界にもピラミッドがある。裾野を広く育てていかないと、
その世界は衰退してしまうんですよ。モータースポーツもそうです。
欧米にはそもそもクルマを楽しむ文化がある。
モータースポーツを日常的に楽しむ土壌が、広い裾野があるんですね。
もともと歴史の長さ、ステータスの違いがあるけれど、欧米の人は、
モータースポーツでも、人を見ているんですよ。
ドライバーの名前、戦績、人柄、監督やエンジニアまで、人がどう動き、
何を思うかにドラマを観ている。でも、やっぱり日本はまだまだハード、
つまりはマシンのエンジンやフォルムなど、
ヒューマンな興味までまだまだ辿り着いていないところが現状です。
モータースポーツの素晴らしさのひとつに、
やっぱり『人』というのがあるんです。
関わるみんなの気持ちがひとつになる瞬間を、ぜひ、共有してほしい。
歴史やステータスをつくる意味でも、日本は、まずは子どもたち、
そして今まで興味のなかった人たちに、どう振り向いてもらえるか、
それが大事なんです」

日置は、NPO法人 日本モータースポーツ推進機構の理事長を務めている。
「2006年から毎年秋に、お台場でやっている、
モータースポーツジャパンという催しも、運転する楽しさ、運転する喜び、
次世代ファンの多くの子供たちにも、クルマの魅力を
もっともっと伝えたい、そんな一心から、始めたんです。
僕自身が、クルマに魅せられていて、クルマによって、
人生の楽しさを教えてもらったので、
少しでも、そんな体験をできるだけたくさんの人に感じてほしいんですね。
知れば知るほど、クルマは面白い。
必ず応えてくれるんですよ、クルマは!」

その思いは着実に広まっているように思う。2日間でのべ10万人が
訪れるようになった。僕も何度か足を運んだこのイベント。
会場にあるのは、家族の笑顔、子どもたちの高揚したまなざしだった。
「まずは、見て、聴いて、体験してほしいんです。僕はね、いまだに、
カートをやったときの楽しさ、忘れてないから」

日本のモータースポーツ普及に必要なこととは?
と訊いてみると、
「まだまだやらなきゃいけないことがたくさん、あります。
まずはいかにレース場に来てもらうかってことですね。
マスコミに取り上げてもらう努力をしなきゃダメですね。
それから、レース場に来たお客さんが、
より楽しめる心遣いやソフトがないとね。
たとえば、お客さんのスマホで、座った位置では見えないコーナーの
映像が見えたり、ラップタイムがわかるアプリがあったり、場内放送が
もっとエンターテインメントだったり、人気レーサーを育成したり・・・」
日置の目がキラキラと輝きを増す。
「第1回日本グランプリの開催から50周年にあたる、去年4月、
『ゴールドスタードライバーズクラブ』っていうのを作りました。
かつての名ドライバーたちを束ねる組織で、野球でいう名球会かな。
名誉会長には難波さんになってもらいました。輝かしい歴史と名誉を、
次の世代に語り継ぐことも、大切なんだと思います。
それは、モータースポーツの発展や社会的貢献に、
欠かせないと信じています」

歴史を語り継ぐ、それは、NISMOでテクニカルアドバイザーとして
ヘリテージカーの推進にたずさわったことと関係がありますか?
と尋ねると、
「歴代の日産車を展示・公開している座間のヘリテージコレクションを
見てもらった日産の新入社員には、必ず言います。
日産の技術力は、すごい。あなたがたが入った会社は、素晴らしい。
どうか自信を持って、誇りを持って、進んでください!ってね。
今までやってきたことは、客観的事実として
次世代に残さなきゃいけないんだと思います。
歴史ある日産ブランドを、キチンと知ってほしい。
日本におけるラリーの先駆者として、
モータースポーツ界を牽引してきた日産の歴史は、脈々と受け継がれ、
多くのファンに支えられ、ブランドを構築してきた。
昨日今日できた信頼感ではないんですよ。
常に挑戦があって、技術の切磋琢磨があり、そこに人が育つ。
そうして初めて成績がついてくるんです」

オフの日は、何をしているんですか?と訊いてみると、
今日いちばんの笑顔で、
「ドライブかな、ダットサン フェアレディ SP311っていうのに、
乗っててね。オープンカーでさ、山道をねえ、登っていくの、最高だよ」
やっぱり、クルマだった。
「クルマが大好きで、クルマと共に生き、ここまできました。
自分を育て、人生の楽しさを教えてくれたクルマに恩返しがしたい。
だから、より多くの人に、クルマを遊んでほしい。
より多くの人に、モータースポーツの面白さを知ってほしいんです!!」

手を見せてもらう。
綺麗でしなやかな長い指、
それはたくさんクルマを触ってきたエンジニアの手でもあった。

「モータースポーツは、技術者にも勉強になる。全部、経験できるし、
すぐにやった結果がわかるから。その技術を市販車にも生かせるから
励みになる。世の中、どんどん、バーチャルになっていくけど、
いちばん大事なのは、現場で体験すること。ひとりでも多くの人に、
レース場に来て、体験してほしいですよ。クルマの楽しさを!!」
最後もやっぱり笑顔だった。
すっと伸びた姿勢で、日置はインタビュー会場をあとにした。
その背中は、まだまだやる!というエネルギーに満ちていた。

文・写真 北阪昌人

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